銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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今日出た雑誌

   


 

もう、これこそ待っていた雑誌だ、という感じだ。

 

僕は小林よしのりは、マスコミ的、あるいはサヨク戦後民主主義的正義感の「予定調和」的な偽善への疑問を正面きって打ち出した、という意味で、エライ、と思っているのだが、エライ、というとなんだか偏見で見られそうでいやだな、とも思う。すぐに「右より」と反応する友人もいるので(マスコミ)。

 

それは小林よしのりが、やや思い込みと戦後生まれの体験なき正義感でやってしまうことと、漫画という表現がどうしても誇張をともなうことと無縁じゃないかもしれない。特に意見が違う人間ヘの攻撃性はちょっと辟易することがある。

 

それでも、なお小林は自分の常識観念を破ってくれる、という意味でエライと思う。

 

さて、田原総一朗は、私は小林以上に、エライ、と思っている。いや嫌いな人も多いようで、あの強引な司会ぶりが気に入らない、という人も少なくないのかもしれない。

 

けれども、田原の一貫してエライ、ところは、いかにも正義感ぶった「政府」への批判に対して、つねに「じゃああんたはどうしたらいいと思うのか」という質問を決まってぶつけることだ。自分が出ているテレビ朝日系列の朝日新聞も含めて「マスコミは対案も出さないで批判ばかりしている」と批判する。

 

ここが、凡百の、結局は何らかの体勢に守られて「批判」を演じるマスコミや評論家と一線を画するところである。

 

オトコ一匹、批判するなら対案を出せ!というのは当然のことで、その当然のことを誰もやらない世の中はオカシイ。

 

で、そのおかしさをひっくり返す意味での雑誌を田原が作ってくれた。小林の「わしズム」もいいけど、真打登場という感じだ。

 

 

ところで、このブログのシステムも提供しているホリエモンのインタビューが同誌に載っていた。

 

僕はこのホリエモンに感心するのは、予定調和的な発言が一切ないことだ。ふてぶてしいような、さわやかなような。

 

僕など、今日の「ちゃらちゃら会」でも思ったけど、ついつい、優等生病というか、相手が期待するだろうことを、無意識に先回りして言ってしまうところがある。もうしょっちゅうである。具体的には。。恥ずかしくていえない。相手への受けを考えて、自分の思想を調整するような、偽善といいますか、愛されたい、認められたい、という甘いところが大いにある。

 

彼にはほとんど100%それがない。

 

バカなのか。

 

バカなのかもしれない。人の気持ちを慮ることをしないのかもしれない。けれども正直だ。そこにはとても感心する。ちょっと見ていて気持ちがいい。

 

別の言い方をすると、権威におもねりが全くない。

 

私など、権威に弱い。と思う。昔トーダイで、蓮実重彦という人には権威を感じて非常にびびっていた。彼にはそういうところ全くないのじゃないか。そもそも東大にいたことじたい、不思議といえば不思議。だって、権威主義者がくるとこだもん、結局。

 

ライブドアのサービスじたいは、まあ未熟なところが色々あるらしく(これは伝聞)、諸手をあげて彼の事業が素晴らしい、とはいえないが、未熟といえばインターネット産業の多くの会社は未熟だろうとは思う(何とかして欲しいけど、いい会社がなければ自分が作ればいいのだ、パワーがあれば)。

 

ということで、ホリエモンはエライ。非文化的、というオウム真理教と共通の体質がとても気になるが。文化、というのは先人を尊重することから始まるので。いやそのあたりがホリエモンの限界というかえらくないところで、馬鹿なところかもしれない。馬鹿なんて不謹慎かな。だけど、褒めてもいるから。

 

で、そのホリエモンに興味を持つトコロが、田原さんの面白いところ。まあ、全共闘的な、「権威への反抗」的な自分の若いころの人生観を重ねて肩入れしているという意見もあって、それはそうかもしれないが。

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