銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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仕入れ他

   

本日は交換会に出向く。古書画を扱う会で、本屋さんと画商が半々くらいか。父は用事で中途から参加。

 

「掛け軸は冬の時代」などと父がお客様に言っていたことがあったが、「実用品」としての掛け軸は確かに冬の時代で、こうした会に出るとよくわかる。半端なものは安い。

 

けれども、掛け軸の姿をしていたところで、「美術品」としての価値が下がるとは限らない。このあたりは方程式でスパッといえないところだと思う。その辺が美術品の美術品たるゆえんといいますか。けれども要は美しいかどうか、ということの市場評価ということで、難しいことは何もないともいえる。

 

市場評価というのは、たとえば株式市場で企業業績を「市場」という擬人化されたものが「評価」する、というニュースの表現があるが、美術品も同じことが言えるでしょう。つまり「だれそれ」という作家の「こういう内容」の「こんな状態」の「いつの時代」のものが「いくらか」ということを「市場」が評価する。

 

「市場」は生きている。生きている人間の総和の意志のようなものである。あらゆるお客様とディーラーの意思の総和で、総和は各デパートの小売の現場、業者間取引(小向こむかい、と呼ばれる)、業者オークション、公開オークション、業者とお客様の取引、の総和で決まってくる。ある現場での取引が他のすべての取引に影響する。作家さんが亡くなると、評価があがったり下がったりする。作家さんが賞をとると、評価があがることもあり、続くこともあり、続かないこともある。

 

そうしたもので、それを、いっつも「市場」に張り付いているディーラー=画商が相場を熟知しているのは当然か。印刷物に書かれているものを読んでも相場に通ずるのは難しいようだ。しょっちゅう動いていないと。

 

と、わかったような(わからんような)ことを言っているけれども、私は一画商としては真に初心者で、交換会でものを買うのはマダマダ冷や汗モノである。諸先輩画商や父に教えを請うばかりで、こうして発信していることじたいおこがましいが、逆に新人だからこそできることでもある。

 

というわけで、今日は私自ら3点仕入れた。皆様に紹介できるかどうかはこれから検討しますが、次の3点。

 

小室翠雲、橋本静水、山村耕花。ややイタミのあるものもあるけれども、お客様の買いやすい価格に抑えるためにこのまま展示するかもしれません。今日入れたのはいずれも20万円前後以下の掛け軸作品です。

 

さて、本日は「おんらいんぎゃらりい秋華洞」に、平松礼二先生の作品をアップした。桜の季節はとうに過ぎているが、そうしたこととはかかわりなく、

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 美しい作品である。これは父が入手した。

本作、実は軸装である。掛け軸が「冬」であろうが、いいものはいい。

 

 

 

 

 

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