銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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どうしてそれが受けるのか

   

今日は父の以前からのお客様のところへ父と品物を届けに行きました。
その方は、古いもの(江戸期)にのみ興味がおありの若い方だが、海外でのオークション動向にもお詳しい。
近頃はなぜ村上隆氏、千住博氏の絵画がうけるのだろう、とか、洋画の現存作家の次世代が育っていない、などとの話になる。

次世代のスターがいない、ということについては、お客様は、写真ができ、映画ができ、CGができ、絵画の存在意義が薄れてきたためではないか、才能が別のところへいくからではないかとおっしゃった。

それはその通りなのだと思います。

けれどもたとえば映画の世界でも同じようなこと、すなわち人材がテレビ、CM、ゲームにいってしまう、という話もあるし、たとえばゴダールか蓮実重彦か、忘れたが、「映画は死んだ」などという言葉もたとえば80年代にはやった「リュミエール」などの雑誌に飛び交っていたような気がする。

一方で、CMや、テレビのディレクターがたまに映画を撮ったりするともうどうしようもない作品ができるケースが多いわけで、本当に「才能」が分散しているかと言えば、分散しているのだろうが、「人材」がどこか文化の一角からそうざらえで流出しているということではなくて、一点に凝集して爆発するようなパワーが「どこの世界にも」少なくなっているような気もします。

逆に言えば、たとえば江戸・明治・大正の「絵画」「小説」や、昭和の前半の「映画」のようなエネルギーが、どこかに息せき切って集まる、ということはあまりもう無いかもしれないが、どこの分野に限らず、成熟した才能がぽこっと出てくる可能性はいくらもあるでしょう。

村上隆氏は、この時代の様々なメディア(日本画、漫画、CG、アニメ)のすべてを吸収して凶暴にパロディ化して、商品に仕立て上げる、面白い人だと思いますが、私たちのような「保守的」な画商は、ちとついていけなかったり、軽く見ていたりする部分はあります。

千住さんについては研究不足でなんともいえません。

えー長くなるのでここで終わり。

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