月岡芳年の作品
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幕末・明治時代の浮世絵師。江戸に生まれる。本名、吉岡(のち月岡)米次郎。別号に玉桜、玉桜楼、一魁斎など。月岡雪斎の養子となり名跡をつぐ。嘉永3年(1850)ころ歌川国芳に師事する。幕末・明治にかけて近代浮世絵を手がけ、最後の浮世絵師と呼ばれる。武者絵・役者絵・美人画等を描きつつ、衝撃的な作品群を残す。 慶応元年(1865)刊の「和漢百物語」あたりから才能が目覚める。同2年、落合芳幾との共筆「英名二十八衆句」の残酷絵で有名になる。神経の病を得るが、回復した明治6年頃からは「大蘇」と号し、独特な描法で新聞錦絵を代表とする時事主題などに積極的に画域を広げている。明治11年(1878)以降からは国粋と欧米政策の混在といういささか矛盾した明治政府の意図を背景に多くの歴史画を制作していく。 動きの瞬間をストップモーションのように止めて見せる技法は、現代のマンガに通じるものがあり、マンガの先駆者との評もある。 明治25年(1892)6月、満53歳で没。神経の病が再発しての事とされる。代表作に月百姿、美人画の風俗三十二相、血みどろ絵の魁題百撰相など。水野年方など多くの門人にも恵まれた。