狩野探幽の作品
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山城国(京都府)に生まれる。狩野永徳の孫に当たり年少の頃より、徳川幕府の御用画師として活躍した。永徳風の誇張された表現を脱し、瀟洒淡麗といわれる画風を展開する。やまと絵の優美な彩色世界と自己の画風の融合、さらには中国画を含む古画学習や写生に取り組み、新しい画風・画題を追求した。その個人様式は狩野派全体に徹底され、江戸狩野様式となった。「雪中梅竹遊禽図襖」(名古屋城上洛殿三之間北側四面)の余韻ある余白は探幽様式の典型である。余白とは何も描いていない部分で、本来は余りであり、空虚であるはずだ。探幽は、この空虚な余白に詩情を込め、空間の美しさを出現させた。1662年、61歳で画家として最高位の法印に叙せられた。