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岩佐又兵衛
いわさまたべい
絵師など(江戸まで)
1578(天正6) - 1650(慶安3)
摂津国生まれの絵師。伊丹城主の荒木村重の子として生まれる。名は勝以(かつもち)、通称又兵衛、道蘊(どううん)、碧勝宮(へきしょうぐう)と号した。2歳の時の1579年に荒木村重が主君織田信長に謀反を起こし失敗すると、母は六条河原で処刑された。また一族郎党がほとんど殺された中、一命を取り留めて石山本願寺にかくまわれる。10歳で秀吉の北野の茶会に参加したという。信長による一族虐殺を生き延び、母方の姓である岩佐を名乗った。狩野重郷に師事し大和絵土佐派を学ぶ。その後母方の姓、岩佐を名乗り狩野派や曽我派などを学んで京都で絵師となる。1615年、大阪夏の陣で豊臣氏が滅亡したのちは、福井に移住。1637年には第二代将軍の秀忠に招かれ江戸に移り住む。家光の娘・千代姫が尾張徳川家に嫁ぐ際の婚礼調度の制作。仙波東照宮「三十六歌仙図額」制作。1650年、他界。享年73歳。