池大雅の作品
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江戸中期の文人画家。京都に生まれる。幼名は又次郎。名は勤。字は公敏・貨成(かせい)。号には大雅・霞樵(かしょう)などがある。6歳で香月茅庵に漢文の素読、7歳で清光院一井に書道を学ぶ。4歳で父親を亡くし、母子家庭であったが、幼い頃から書に優れ、神童と称され、15歳の時にはすでに扇子に絵を描いて生計を立てる。中国文人調の書画を好み、「八種画譜」により中国南宗画の技法を学び、20代から30代にかけては、数ヶ月にわたる旅において自然から学び、詩情豊かな作品を生み出した。また日本の伝統的画法や西洋画の技法までを採り入れて、独自の画法を確立した。文人画とは対極にある琳派も学び、金地と色彩の使い方、たらし込み技法などを自己流に吸収し、自らの個性的な作風の素に消化している。