白隠禅師の作品
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臨済宗の僧侶。駿河(現在の静岡県沼津)に生まれる。15歳で出家し、諸国を行脚し修行を重ねる。34才で京都の妙心寺の第一座となり白隠と称した。その後地元の松蔭寺に帰って布教を続け、衰退していた臨済宗を復興させ、「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とまで称された。白隠は民衆に禅をわかりやすく伝えるため、還暦を過ぎた頃から書や禅画を多数制作した。達磨、観音、布袋などの祖師や、神仏や寓意画などを個性的な筆致で描いた。技巧にとらわれない豪放でユーモラスな書画は高く評価されている。筆致は素朴だが、自分の内面をダイレクトに描き出そうとする迫力に満ちている。白隠画のもつ迫力の源は、デフォルメされた形態の異様さ、そしてそれを支える野太い線であろう。こうした表現力の強い絵画は、同時代の画家たちにも影響を与えた。池大雅は上京した白隠に面会し公案を与えられており、曾我蕭白は白隠の野太い線質や単純化された人物像に影響されている。