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円山応挙
まるやまおうきょ
絵師など(江戸まで)
1733(享保18) - 1795(寛政7)
江戸中期の画家。円山派の始祖。夏雲、雪汀、懐雲、仙嶺、洛陽山人、鴨水漁夫などの別号がある。丹波国の農家に生まれ、京都に出て初め狩野派の石田幽汀に学び、かたわら眼鏡絵を描いて西洋画法を習得、さらに渡辺始興の影響を受け、30歳代初め写実主義の新進画家として登場。このころの作品に《淀川両岸図巻》《難福図巻》がある。40歳代には写生画法と装飾画法を総合、合理的な対象把握を骨格とした優雅な品格をもつ装飾画風を確立し、《雨竹風竹図屏風》《藤花図屏風》などを制作。晩年には《雪松図屏風》や大乗寺の襖絵・金剛寺・金刀比羅宮等の障壁画、および絶筆《保津川図屏風》などの大作を残した。応挙画の洗練された様式美と合理性は京都の町民層を中心に圧倒的な支持を集め、京都の画格は一変するに至った。門下に多数の画家が集まり円山派が形成された。