シャガール絵画買取 | 鑑定・無料査定は<絵画骨董買取プロby秋華洞
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シャガールの版画制作
版画を作るというのは、専用の設備が必要で工房に行かなければならないとか、大作は作りにくい、思った色が出せないなどの様々な制約があります。ではなぜ、20世紀以降のほとんどの画家が手間のかかる版画制作に取り組んだかというと、それは画家にとって予期せぬ効果、思わぬ発見があったからです。
多くの画家が版画制作の最終段階の版に紙を当て、刷り上がる瞬間が最も気持が高揚すると言っています。
特にシャガールは版画制作に情熱を傾け、生涯に約1100点の版画を発表しています。「私は版画が大好きです。石版画の石、銅版画の版に触れる時、お守りを手にした時のような神聖で豊かな気持ちになるのです」と語っています。 それは版画を作る行為が自分の意思で完全にコントロールできるものではなく、偶然性によって生まれる効果が、時には予定したもの以上の仕上がりとなってくる版画の不思議な魅力を表現しているのでしょう。
シャガールの査定ポイント
生涯に制作した版画作品の量が多いこともあり、たくさんの版画作品が日本でも流通してきました。作品相場は図柄によって大きく変わってきます。青が特徴的に使われている作品や、シャガールが魅了されたサーカスモチーフの作品など、人気のある図柄は相場も高く、高価買取の対象です。版画制作の中でも豪華挿絵本の制作にも力を入れ、「ダフニスとクロエ」、「サーカス」、「パリ」など不朽の名作を残しています。
挿絵本から抜いて額装された作品はサインとエディションナンバーは作品下に入っていませんが、人気が高い傾向にあります。
<シャガールの鑑定書について>
シャガールの肉筆作品は、コミテ・マルク・シャガールの鑑定書を付けた後に買取を致します。
鑑定書が付いていない場合は絵画骨董買取プロが鑑定書を取るためのお手伝いをいたします。お気軽にご相談下さい。
シャガール査定のポイントを動画で解説
シャガールの代表作一覧
シャガールの生涯
初期には褐色系の色彩を基調とし、ゴーギャンやナビ派の影響が見られる。パリに出てからは故郷ヴィテブスクやロシアの情景、幼い日々の家庭内の情景、祭りや婚礼などの絵を描いた。1941年第2次世界大戦勃発後アメリカへ亡命。1957年くらいから、ステンドグラスの制作を始めた。メッツ大聖堂(北フランス)、ハダサ病院(エルサレム)などにシャガールのステンドグラスがある。
晩年の代表的な仕事としては、オペラ座の天井画が挙げられる。1985 年に死去するまで、妻に対する愛情や別れ、宗教観、戦争と迫害などをテーマにした数々の名作を⽣み出した。
1887年 ロシア・ヴィテブスクでユダヤ家系に⽣まれる
1910年 フランスのパリへ渡る
1914年 ロシアへ帰国。第⼀次世界⼤戦とロシア⾰命を経験
1915年 ベラ・ローゼンフェルトと結婚。以後、ベラをテーマとした作品を数多く制作
1922年 モスクワで、ナタン・アールトマン、ダヴィド・ステレンベルクとグループ展を開催
1923年 再び、フランスのパリへ
1941年 ナチスの迫害を逃れてアメリカへ移住
1947年 三度、フランスのパリへ
1951年 ベルンとエルサレムで⼤規模な展覧会を開催
1964年 オペラ座の天井画が完成する
1973年 ニースに「シャガール美術館」が開館
1985年 97歳で死去
美術品の売却は、ぜひ信頼できる美術商をお選びください
弊社では美術品を売るときも、買うときも、それきりでなくて、一生のお付き合いを考えています。さらには、世代を超えて、代々お付き合いできる関係を目指しております。
スタッフにも「ともかくたくさん買えば良い」ではなくて、「お客様にどうしたら、最も、お役に立てるのか、考えて動きなさい」と伝えています。
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そういう美術商として、みなさんとお付き合いできれば、と考えております。