李鱓の作品
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清代中期の書画家。 字は宗揚、号に復堂・懊道人・墨磨人など。江蘇省興化の人。はじめ官吏を志したが、詩文が康熙帝の目に留まり、かつ画才を買われて宮廷画員として仕えるようになる。蒋廷錫に師事して工筆花鳥画を学んだ後は、康煕帝の画の師になり、厚遇を受けた。しかし宮廷の伝統的な画風に馴染めなかった李鱓は宮廷を辞し、楊州で売画生活に入った。雍正帝が即位すると再び宮廷に召されるが、宮廷画派との対立が深刻化し、再び宮廷を離れる。乾隆2年(1737)には山東省滕県の知事となり、善政を敷いて民に慕われたが、3年後に罷免。再び売画で生活を営むようになる。志は常に官途にあり、晩年には復官を試みたが、遂にその志が叶うことは無かった。画は当初山水に長じ、花鳥工筆画を修めていたが、揚州で石濤画に出会ってからは「破筆溌墨」の豪快な画風に一変した。