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于右任
うゆうじん
中国諸作家
1879(清・光緒5) - 1963(民国53)
清末から中華民国にかけて活躍した政治家・文化人。名は伯循だが、一般には字の右任を用いて呼ばれる。筆名には神州旧主・騒心・大風・剥果・太平老人などがある。光緒29(1903)年に挙人となるが、政治を風刺したとして、清朝の指名手配を受け、上海に隠れ住む。その後、日本に留学し、中国同盟会に加入。帰国した後は『民呼日報』、『民立報』などの新聞を創刊し、革命派の言論・思想を発信した。1912年、南京で中華民国臨時政府が設立されると、政府内の要職に就く。さらに葉楚傖と共に国立上海大学を創設し、于右任が校長となった。1926年、蒋介石が南京に国民政府を創設すると、于は国民政府委員や軍事委員会常務委員を歴任。1938年には、国防最高委員会常務委員に任ぜられた。新中国建設後は台湾へと逃れ、国民党評議委員などを務めた。政治家として活動する一方、文化人としても知られ、書・漢詩などで優れた作品を残している。