熊谷守一の作品
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岐阜県恵那郡付知村に生まれる。1900年、東京美術学校西洋画科選科に入学。黒田清輝・藤島武二らの指導を受ける。同期に青木繁、和田三造など。卒業後、樺太調査隊に参加しスケッチを行ったり、実母の死後6年間は帰郷してきこり同然の生活を送る。才能を惜しむ友人の勧めで上京、以後二科展に毎年出品する。1922年結婚し、二男三女をもうけたが、貧困の中、次男・三女そして長女も失う。戦後、二紀会結成と同時に会員となる。1965年文化勲章授賞が内定したとき、「これ以上人が来ては困る」と辞退し、勲三等叙勲も辞退する。初期には暗渋な色彩だったが、表現主義的な時期を経て、赤鉛筆による独特の強い輪郭線を残しつつ、色面を強調した抽象度の高い独自のスタイルを確立した。1964年、パリで個展。45年間住み続けた旧宅跡地に、豊島区立熊谷守一美術館がある。