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渡辺崋山
わたなべかざん
絵師など(江戸まで)
1793(寛政5) - 1841(天保12)
江戸時代後期の画家・政治家。三河国田原藩三宅侯の家臣渡辺定通の長男として、江戸半蔵門外藩邸に生まれる。通称登(のぼり)。幼少のころから赤貧の家計を助けるため画の修行を始めた。のち谷文晁に師事し写生派画家として大成する一方、西洋画の陰影法を用いて写実的な肖像画を描くことに成功した。「鷹見泉石像」・「佐藤一斎像」などはその名作である。藩の家老としては、天保の飢饉の際、食料対策に「報民倉」を設け餓死者を一人も出さなかったなど、施政者としても有能な面を見せている。 また、1833年(天保4)に日本の海防の強化を目的とする尚歯会が高野長英・小関三英らによって結成され、これに参加する。同会は多くの蘭学者を集めた秘密結社であったが、1839年幕府に処罰され蛮社の獄(蘭学者への弾圧事件)に発展し、崋山は田原に蟄居を命じられた。崋山は「慎機論」で幕府の海防政策を批判していた。その後蟄居中、生活のため絵を売っていたことが不謹慎と非難されたため、その累が藩主に及ぶのを恐れ、田原で自殺した。