ジョアン・ミロ(Joan Miro)の版画作品買取 | 鑑定・無料査定は<絵画骨董買取プロby秋華洞>
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スペインの画家。バルセロナに生まれる。父親は時計職人、母親は金細工職人。
18歳で療養のためモンロッチという村に滞在し、この頃から画家を目指すようになる。
翌年にバルセロナの美術学校に入学。1918年には、バルセロナのダルマウ画廊で初の個展を開く。1919年にはパリに出てピカソら芸術家と交流を深める。
シュルレアリスムに限らず、様々な手法を用いて独自の作風を確立し、多くの絵画の他、彫刻や壁画、舞台装飾などを残す。1970年には大阪万博のガス館に陶板壁画『無垢の笑い』を制作するため来日した。>さらに詳しい略歴はこちら
ジョアン・ミロ 版画についての査定ポイント
この時代のパリを拠点として活躍したアーティストは、肉筆のみならず版画、挿絵本制作に力を入れていました。ミロの版画作品も膨大な数で、リトグラフ、エッチング、挿絵本の制作、大判の版画作品など精力的に版画制作を行っています。評価格についてはリトグラフよりエッチングの方が高い傾向がありますが作品の保存状態、サインの有無などで大きく変わってきます。エッチングでは、小品であっても優れた造形美、色のバランスが良い作品は高額になる傾向があります。
ジョアン・ミロ 略歴
スペインの画家。バルセロナ生まれ。父親は時計職人、母親は金細工職人。
18歳で療養のためモンロッチという村に滞在し、この頃から画家を目指すようになる。
翌年にバルセロナの美術学校に入学。1918年には、バルセロナのダルマウ画廊で初の個展を開き、1919年にはパリに出てピカソら芸術家と交流を深める。
多くの人はミロとシュルレアリスムを結びつけるが、実際、区切りと変更の多い人生を歩んだこの芸術家の作品を一つの芸術スタイルに当てはめることは、ほとんど不可能である。
人々が形の平衡を保ち、代表直線で表されるミロ独自のスタイルは早期から具体化されていたが、彼の色使いやテーマは彼の気分によって変わる傾向があった。
1920年代、パリに初めてやって来たミロは新進気鋭でパリで繁栄したシュルレアリスムの影響を強く受けた。1924年から1928年の間、ミロは100を超える「夢の絵画」と呼ばれる作品を手がける。
スペイン内戦が始まる丁度前頃から、ミロの「野生時代」は始まる。内戦間も続いたこの時代に、ミロは彼の手がけた作品の中でも最も不穏で悲観的、怒りがあふれた作品をいくつか手がけた。
ミロの丸みある円と線で表現された人間の姿は、晩年頃にはより洗練されていく。彼の明るく制約されない色使いもトレードマークとなった。油彩やセラミック、そして生涯にわたって探求し続けた版画作品まで、ジョアン・ミロは芸術形式にとらわれず、表現の試行と精巧な作品製作に人生を捧げた。
1893 スペイン、バルセロナに生まれる
1912 フランシスコ・ガリ美術学校に入学
1937 パリ万国博覧会のスペイン館のために壁画を制作
1941 ニューヨーク近代美術館で回顧展開催
1954 ヴェネツィア・ビエンナーレで国際版画大賞受賞
1959 ニューヨーク近代美術館、ロサンゼルス美術館で回顧展開催
1962 パリ市美術館で回顧展開催
1966 東京国立近代美術館、京都国立近代美術館で回顧展開催
1976 バルセロナに『ジョアン・ミロ財団現代美術館研究所』開設
1983 死去
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