銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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草間彌生という現象――水玉、愛、金、そして「繰り返し」

   

草間彌生さんが亡くなった。

彼女の展覧会を六本木でやったとき、出口を出たところで、彼女が車椅子に座っているのを見かけた。

もう細かい状況は忘れたが、作品と一体化したような水玉模様のファッションで、なにか驚いたような、あるいは何かを睨んだような不思議な表情をしていた。ひとりで、周りに誰もいなかった――いや、いたのかもしれないが――なにか神がかった空間がそこにあったような気がする。

美術手帖からの引用(https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/343)

では、彼女は神がかった作家であるかといえば、そうでもあり、そうでもないともいえる。

韓国のあるギャラリーで、彼女の個展ないしコーナーに彼女のビデオが流れていた。そばにいる若い人たちに「私が死んだらどうするのよ」とか、お金を巡ることでちょっとからかうようなことを言っており、「愛」と「金」が同時に存在する彼女の面白さがよく表れているように感じた。その動画はどこかで流れているだろうから、探せば確認できると思う。晩年の彼女の制作活動や、その周囲の空気がわかるものだ。

幼い頃、家族のことで辛いことがいろいろあり、目をつぶっても水玉が襲ってくるような彼女自身の視界に押しつぶされそうになった。しかし、それを外に表現することによって、自分の人生のエネルギーに変えた。それも、世界を変えようというモットーを掲げて。

ところで、障害者によるアートをアール・ブリュットとかアウトサイダー・アートという言い方で括ることがある。厳密には同じ意味ではないが、海外ではしばしばそうしたカテゴリーのアートフェアも開かれているし、日本では「ねむの木学園」の子どもたちの作品群などがよく知られている。近年ではヘラルボニーなど、障害のある作家と鑑賞者、そして市場をつなぐ中規模の会社も出てきた。

世間で障害者と呼ばれる人のアートは、しばしば強い感動を呼ぶ。それが何を意味するのか、分析的にはよくわからないことも多いが、日本で有名なアーティストとして僕が思い浮かべるのは、ひとりは山下清、そして二人目が草間彌生である。それと書道家の金澤翔子さんであろう。

もちろん三人とも、世間的な立場も性格も、障害や病のあり方もまるで違う。ここで一括りにするのはかなり乱暴である。ただ、それでもアートの性格というものを考えるうえで、なにか共通するものがあるように思う。

草間さんと山下清の共通点のひとつは、ミニマルな要素を丹念に、執拗に繰り返し描くことである。「ねむの木」学園の作品やヘラルボニーの作家たちの作品を見ても、同様の要素に出会うことがある。

アートというのは、身の回りに起こったことや内的現実を抽象化して人に提示することである。そして、その抽象化に一定のリズムがあるとき、私たちは不思議な感動を味わう。それは自然そのもののリズムにもう一度向き合う体験でもあるし、人間というものの持つ認知と、それを丹念に表現し続ける集中力、あるいは一般人にはない抽象の仕方に、圧倒的な力を感じるからなのだと思う。

金澤翔子さんの場合は、この「繰り返し」のパターンとはあまり関係がない。しかし、文字の勢いや流れと、文字そのものが持つ言葉の意味とが率直に結びつくことで、私たちは新鮮な驚きを得る。

一般人にはなかなかできないのが、この「率直さ」なのではないか。

教養と結びつけすぎたり、過剰にデザイン的に走ったりすると、感動がどこかへ行ってしまう。日常生活では少し不自由を生むかもしれない脳の構造が、創作活動の上では、いい意味で「常識」という名の障害を取り去ってしまうことがあるような気がする。

さて、草間さんの評価が70年代以降、年を追うごとにどんどん上がっていったことは、ほとんどの人が知っていると思う。いまや肉筆画は安くても数百万円、大きなものになれば億を超えることも珍しくない。なぜ草間がこれほどまでに評価されたのか。その分析はさまざまな角度から自分もしてみたし、他の人もずいぶん試みていることだろう。

草間さんが亡くなった今、アートの歴史のなかで、いったい「草間現象」とは何だったのか、もう一度見直す時期が来ると思う。

過激なニューヨークでのパフォーマンスと、その裏側にあった貧乏な時代。それでいてウォーホルやドナルド・ジャッドらがいたニューヨーク前衛の最前線にいたこと。日本に戻ってきてからの不遇。絵画だけでなく立体や小説など多ジャンルにわたる活動。

そして、「繰り返し」を描き、その「繰り返し」をさらに繰り返し表現する、ほとんど催眠作用を持った世界。

その繰り返しという要素を、「愛」や「宇宙」や「自己消滅」といった言葉にまで広げていく世界観。そして同時に、アートを商業的にも物理的にも押し広げていく異常なまでの積極性。

こうしたさまざまなものが、強迫的な幻覚に悩むひとりの少女を、世界的なアーティストへと押し上げた。

この人に好き嫌いが多いのは、どこか「松田聖子」に似ている。

暑苦しくて、ものすごく人気がある。しかし嫌いな人からすると、なぜそんなに人気があるのかさっぱりわからない。

人は、ネガティブなものをポジティブに変えていく力に憧れる。

みな誰もが欠点を持ち、悩みを持っている。そのこと自体をエネルギーに変えて前に進んでいく人の姿には、生き方のヒントがある。だから人はしばしば、自分自身が前に進んでいくためのシンボルとして、彼女の水玉や花や宇宙に自分の夢を重ねる。

嫌いな人が多い分だけ、好きな人も増える。

そして彼女は、自分を苦しめた「繰り返し」を、ついには世界中の人が見たがる「繰り返し」に変えてしまった。

そこに、草間彌生という人の一番すごいところがあるのかもしれない。

アートの世界に大きく咲いた花が、散った。

これから多くの人が、彼女の人生と作品をもう一度受け止めることになるだろう。

97歳の大往生。

御冥福を祈る。

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